story 101

2022.09.25

 

20代前半

まだアシスタントだった僕は、多くの美容師が思うように「いつか有名になりたい!」と片っ端からファッション誌を読み漁っていました。

そんな中で良く見かけた名前が「綾小路竹千代」でした。

このstory にも記してきましたが、「運命」という「縁」に導かれてその人の元で働く事になり、僕の人生は大きく変わりました。

本名は別にありながら、アシスタント時代にいきなり「今日から僕は綾小路竹千代という名前に変えます!」。

都内に出てきた最初の1か月は、あえて代々木公園で野宿をしていたそうです。

「伝説を作るため!」

彼はそう言ってました。

 

23歳で初めて出会ったとき綾小路さんは28歳。

そんな彼が「日本一のお店にする!」と言い出しました。

とにかく「破天荒」

今考えれば、あの年齢でそれだけの発言や行動がよくできたなぁと思いますが、全てに筋が通っていて、大きな波を自分で起こしその最先端を走っていました。

そんな綾小路さんの元で、頭も手先も不器用だった自分は全てを否定され、0からのやり直しでした。

当時ですからボコボコにされてw、でも普段は関西人ならではのトークで大笑いし、毎日飲みに行っては「夢」を語り合い。

いつの間にか心から尊敬し、なんとかその「夢」について行きたい!そんな思いで必死にしがみついて行きました。

それから約10数年間、彼の掲げた夢を実現するために「自分が出来る事」だけを考えて生きてきましたが、お互いの歯車が微妙に狂いだし、結果的には修復できないくらいのかたちで去って行く事になりました。

 

その後の約20年間、お会いする事はありませんでしたが、一度だけアジアビューティーエキスポでステージを観させて頂いた事があります。

一緒に全国を駆け回って、最後に「伝説の武道館のステージ」をやった後、「いつかこの曲を使ってみたい!」と言っていた、美空ひばりさんの「川の流れのように」を流し、当時言っていた通りのステージを観た時には、込み上げるものがありました。

「癌を患って先が長くないかもしれない、、」

数ヶ月前にそんな事を耳にしました。

そして先週近しい人間から最後の連絡が来ました。

「最後に顔を見た方がいい」

そう何人からも言われましたが、、、

僕にとって一緒に走らせて頂いた20代と、お会いしてなかったこの20年は、そんなに簡単に飛び越えられるものではありませんでした。

 

間違いなく一つの時代を切り拓き、数えきれないくらい多くの人に影響を与えてきたと思いますが、僕にはそれ以上に計り知れない大きなモノを与えて頂いたと思っています。

つい先日の武道館イベントでスタッフに伝えた「ことの始まりは綾小路さん」で、僕は結局その延長線上を今でも走り続けているだけです。

笑って昔話しができる日はいつ頃だろうと思っていましたが、60歳という若さでこの世を去られたことは残念でしかありません。

心からご冥福をお祈りします。

そしてありがとうございました。