story 36

2021.05.16

 

今でこそ話せますが、、

OPERAは当時オーナーが別にいて、他にアンクインターナショナルというSIHMA系出身の方達のブランドと2つを運営していました。

現在表参道のシャネルのビルの所に、昔は一階にカフェがあって、そこをステージに、日曜日の歩行者天国の時に、表参道と原宿駅から数十人のモデルさんが横一列に歩いてきて、そのカフェのステージでヘアショーがスタートする。

そんな今までになかった斬新なイベントなんかもやっていました。

 

オーナーは過去美容師経験もあったそうですが、山梨のリニアで不動産業を起こし、業界に新しいブランドを!(今でもよく聞くような話ですが)(笑)ということで始めたらしいです。

ところがそのオーナー失踪し、大分後になって事件に巻き込まれて亡くなられるということがありました。

当然その後様々にごたごたもありましたが、、、

普通の美容師だった経験できないこと様々に経験させてもらいました。

 

そんな色々を経てOPERAからACQUAと名前も変わり移転拡大して行きます。

その頃、加藤フラワーズの高柳、ノラの広江、アラの角やちはるなど、他にもモチベーションの高いメンバーが沢山集まってきます。

とは言ってもみんな実力もある自分勝手でバラバラ、、(笑)

殴り合いの喧嘩やらクラブ行って頭割られたりとか、、

とにかく毎日が破茶滅茶でした。。

それでも美容に対してはみんな真剣で、デザインや技術に対する拘りはとても強くて、また将来のビジョンなんかも毎晩のように朝まで語り合いました。

 

そんな中で僕は「自分の役割は何か?」ということに悶々として行くようになります。

とにかくこの当時は売上げ至上主義で結果を出さなければ誰からも認められない、、

 ただ自分は本当にそれがしたいのか、、?

『日本一を目指す』という圧倒的なビジョンが、スタッフを、また業界までをも突き動かし、、

時代の波にも乗ってどんどん加速して行く。

その流れに乗ってお客様も増え売上げも上り、収入もビックリするくらいに増えました。

 

最初のジャガーを買ったのもこの時期だし、どこかで調子に乗ってたのも事実です。

その車で以前働いていた、厚木の日産プリンスを訪ねたことがありました。

「絶対成功するはずがない!」と言われたことに対して、「ここまでなったぞ!」的な気持ちもあったんだと思います(笑)。

でも知っている人は誰一人いませんでした、、、

特にそれ以上は聞かなかったけど、なんか複雑な気持ちでした。

 

この頃、自分なんかにもメーカーさんからセミナーを与えて頂いて、それまでの人生で実は新幹線や飛行機すら乗ったこともなく。

関東から出たのも高校の修学旅行くらいだった自分も、地方へセミナーに行くようになりました。

新幹線から見る地方の田園風景とかを見ていて、毎日の忙しさに追われてやっていることにどんな意味があるんだろう、、なんてことも考え始めます。

田園風景をで働く人たちを見て、「食」とか「社会インフラ」とかわかりやすく社会に貢献していて、、

 

決してカッコつけるつもりではありませんが、、、

それに比べて人の生活や社会において、自分たちがやっている「美容師」という仕事。

 ましてその業界において『日本一を目指す』ということが、何の意味があるんだろう、、

「僕たちは世の中に何を貢献してるんだろう、、?」そんな風に考える様になって行きました。

 

当時の僕は、急激な環境の変化に耐えながら、それによって大きく変われたことと同時にその成長に精神的な成長が伴わずいろいろ考えてしまったんでしょうね。。

でもそれはとても贅沢なことではあったんでしょうけど(笑)