成功体験に安心しない 成功の反復を求めない

 

 

「13年間暮らしていた渋谷から数カ月前に武蔵小杉に引っ越したんです」

 11月下旬に武蔵小杉にオープンしたNEUTRAL produced by GARDENでマネージャーを務める野田泰宏さんは、いつもと変わらぬ明るく爽やかな声でこう言った。そして、笑いながらドキリとするひと言を付け足した。

「『GARDEN』のことは、全部、忘れました(笑)」

 数年前にインタビューしたとき、彼はデビューしてからのことを話してくれた。初月に当時の新記録だった209万という驚異の売上額を叩き出したこと、その後、大幅な失客で辛い思いをしたこと、再び、集客に成功して、後輩たちの教育に情熱を注いでいること……。

 その後、NEUTRAL produced by GARDENがオープンするまで、彼はGARDEN harajukuになくてはならない存在だった。店長を務めていたこともある。GARDENの前身のneutralがどれだけ素晴らしいヘアサロンだったかも彼は、きちんとわかっている。その彼が言うのである。

「学生時代から暮らしていた渋谷エリアを離れることは、もちろん、ものすごく寂しかったです。ここで美容師になり、ここで成長させてもらった。でも、成長したから、次のステージを与えてもらえた。だから、GARDENの名前にしがみついて、これまでと同じことをやるのではダメなんです。僕たちは渋谷エリアを飛び出して、新しいお客さまと出会うために、武蔵小杉という新しい土地でヘアサロンをオープンする。これまでわざわざ原宿や銀座に足を運んでくださっていたお客さまとも、新しい出会い方を武蔵小杉でする。これまでやりたくてもできなかったことのできるチャンスが巡ってきたんです」

 これまでやりたくてもできなかったことのひとつには、「徹底したお客さま目線での店づくりがある」と言う。

「GARDENでは、お客さまの滞在中に、来てよかったと思っていただけるようにさまざまなことを考えて、行ってきました。たとえばシャンプーひとつとっても、汚れが落ちて、なおかつ熱すぎず、冷たく感じない温水で『熱くないですか?』とお伺いして行っています。でも武蔵小杉では、適温の範囲で『徹底的に』お客さまの好みの温度でシャンプーをしようと思っているんです。お風呂に入ったときに40度が心地よく感じるお客さまもいれば、ちょっと熱めの43度がお好みの方もいるでしょうし、40度が少し熱く感じる方もいる。最初から決まった温度で接して『熱くありませんか?』とあとから聞くのではなく、『お好みの温度にいたしますね。熱めとぬるめ、どちらがお好みですか?』とお聞きしてから始める。ひと言、お声かけすることで、時間も取られますし、その温度に調整することで、スタッフの手間も増えます。でも、『徹底したお客さま目線』を実現すれば、シャンプーだけでも、お客さまが本当に心地いいと感じる温度で行うことができる。もちろん、他のときも他のことも、できる限り、『徹底したお客さま目線』を実現していこうと思っています。だから『こうするのがお客さまにとっていいサービスだ』というこれまでの常識を僕は、全部、忘れることにしたんです」

 ユニクロの創業者でファーストリテイリング社の代表取締役会長兼社長である柳井正氏は『成功は一日で捨て去れ』という書を記している。3年ぶりに社長に復帰したときに、かつてのベンチャースピリッツを忘れ、大企業病にかかってしまった社内の現状を目にして、常に改革し続けなければならないと気づいたからこその提言だ。

 一度でも成功の体験があると、人は新たなことに取り組むとき、失敗する怖さから逃れようと、成功したときの方法を頼ってしまう。けれど、サロンの名前の通りNEUTRALでいれば、押しつけではない本当のサービス、新しいサービスが提供できる可能性が生まれる。過去の成功にとらわれるのではなく、安定志向を持たない。世界有数の企業の経営者と同じ感覚の美容師が東京の中央ではなく、郊外にいる。このことだけでもわざわざ足を運ぶ意味がありそうだ。